2012年9月28日金曜日

ワイルドだぜ、てんぐのヤマ学校
                           三年 鎌田圭悟
 
 ぼくは、ヤマ学校に通っている。『てんぐのヤマ学校』だ。場所は、さえずりの谷。先生は、スパイダー。くもたきのりと、ともいう。
しんさい後、歌津にうつり住んで、ボランティア活動をしている。子どもたちと遊んだりして、歌津のふっこうのためにがんばっている。
 
 スパイダーは、ぼくたちにいろんなことを教えてくれる。マッチ三本だけでスギの葉に火をつける方法や、竹をのこぎりで切ってコップをつくる方法を、教えてもらった。それから、また津波が来てもにげられるように、山の中の道も教えてもらった。そのほかにも、海の水をくんで塩をつくったり、そのしおで氷をひやして、いろんなあじのアイスをつくったりもした。どろんこをまるめて、灰のつぼに入れて、カイロをつくったこともあった。スパイダーはなんでも知っている。
  
 今年の夏休みは、さえずりの谷で二はく三日のキャンプをした。一日目は、はらいかわの川に行ってつりをした。ぼくは四ひき、お兄ちゃんは八ぴきつった。本当は、ヤマメをつりたかったけれど、ぼくたちがうるさくしたのでかくれてしまった。その後川に入って、せいじくんとたくみくんとりょうすけくんとスパイダーで水のかけ合いをした。暑かったけど、川の水はとてもつめたかった。アブがおそってきて、みんなでがんばって、たいじしようとしたけど、ぜんぜんたおせなかった。谷に帰って、みんなで夕ごはんをつくって食べていたら、てんぐがきた。てんぐは、さえずりの谷の話をいっぱいして、帰って行った。
 
 二日目の朝は、みんなでラジオ体操をした。電車ごっこや花火もした。ゴムでっぽうを作って、サバイバルゲームをして、みんなで走り回った。スパイダーもみんなもあせだらけになった。すごく楽しかった。またいつかやってみたいと思う。
 
 この間の日曜日は、さえずりの谷で、ニワトリをさばいて食べた。おなかの中をみたら、ちゃんとできているたまごが二つ、すごく小さいたまごが十こいじょうあった。肉は、くしにさして、やいうて食べた。あじは、しょっぱかった。ニワトリをさばくのは、はじめてで、気もちわるかった。でもおいしかった。ニワトリをさばいて食べるのは、野ばんだと思うけど、おいしそうだから食べた。いつもスパイダーは、
 
「食べものはのこすな。」
 
と言う。ぼくは、これからも食べものは、なんでものこさないで食べようと思う。
 
 ワイルドなてんぐのヤマ学校がとても楽しい。これからどんな活動をするのか、とっても楽しみだ。


払川(伊里前川上流)で川遊び。水が冷たくて気持ちいい。



大雨になったので、トンネルで遊ぶ。暗闇で目隠しなしのスイカ割り。



海水を釜で煮詰めてつくった塩。味があってとても美味しかった。


塩と魚屋さんでもらった氷を使って、手作りアイスを凍らせた。



飼っていたニワトリをさばいて、肉も皮も骨も内臓も足も全部食べました。スープが美味しかった。


2012年8月25日土曜日

西巣鴨中学校地域サポートクラブの皆さんと山の道復興プロジェクト

8月上旬、歌津てんぐのヤマ学校に東京都豊島区立西巣鴨中学校のサッカー部員やOBらで構成する、西巣鴨中学校地域サポートクラブ(西巣鴨中SC)の皆さん総勢31人が、ボランティアに来てくださいました。昨年は旧RQ歌津センターで写真の再生などをお手伝いしてくれましたが、今回は現在、歌津てんぐのヤマ学校が取り組んでいる「山の道復興プロジェクト」をお手伝い。約20人が歌津の山中で一生懸命、作業してくれました。

「山の道復興」は、今回の震災で津波が届かなかった古い山道を整備することで、隣の集落に峠越えしていく「山遊びの道」「トレイル」を復活させようという活動です。今回取り組んだのは、「気仙道」と呼ばれた江戸時代の街道の跡。使われていない古い道は藪に戻り、けもの道状態。以前は子供たちのヤマ学校の場だったっというこうした道を、子供やハイカーやマウンテンバイクが通うようになれば、「高台の道」が復活するだろう、という願いを込め、かつてヤマ学校で遊んだ世代の地元の方から聞き取りして、「道跡」をたどる準備をしたものです。

海沿いの道が壊滅的な打撃を受けて「陸の孤島」と化した歌津では、こうした古い山の道を記憶している世代が、緊急時のアクセス路として使ったという証言もあります。三陸のリアス式海岸地形では、大量運送流通ができる平らなハマの道と、起伏があり狭いヤマの道が両方あって、後者がいざという時のバックアップになっていたのだと言います。しかし、薪炭が使われなくなって、森の中の小道は荒れて通れなくなってしまいました。「いざという時、そういう道が大事だべなあ」と災害時の必要を見直す声を最近地元で聞きます。





今回、皆さんとともに作業したのは、仙台・気仙沼をつなぐ街道であった「気仙道」の歌津部分の一部で、津波が伊里前川をニキロさかのぼった地点である中在集落からスタート。数件の空き家が残る集落「白山(しらやま)」への道の整備に着手しました。現在、志津川から歌津方面は、通常は45号線で清水浜・細浦・皿貝・ハマ地区の伊里前・港、と車道で移動します。かつては山路を通って、細浦(ガッカラ石)の森の七里塚、サラガイ化石の発見地である皿外の森、今回作業した白山、伊里前川沿いの中在の七里塚、石泉の七里塚、山路を通って港方面(グリーンロード)へ、というのが主たる街道でした。これは、今回の大津波がちょうど達しなかった高さを走っている道であることがわかります。

中在から石泉、港への道は、現在も生活道路として日常、使われています。中在から細浦への山路は、車は入れないトレイルでしたが、現在は荒れて刈払いしなければ通れない状態です。白山集落へは軽トラ道が別にあったのですが、これも草刈りが必要な状態。

さて、西巣鴨中SCのメンバーは、森の中に道を復活させる班と、白山集落の農道の草刈りをする班の二手に分かれて作業をしてくれました。中学生はみな、森の道復興班で活動を開始。まずはヤマ学校よろしく伊里前川を靴を濡らしながら渡って近道をし、田んぼから森の中へ入っていきます。そこには確かに道らしき跡が…。でも、これをきちんとした道にするのはなかなか大変な作業です。




まず、草を抜き、出っ張った枝を切り落とします。太い丸太にはチェーンソーの出番。切った枝を路肩に見立てますが、ところどころ道が分からなくなり、都会っ子たちは迷子になってしまうことも(汗)。しかし、地元の子どもたちにとっては絶好の遊び場であり、彼らに迷うなんて言葉はありません。中学生が藪と格闘している間、低い松林の根元の藪の隙間をくぐって、「トトロの道」よろしく、中学生より早く藪を抜けてしまったりしていました。うーん、慣れですかね? 








話をもとにもどしましょう。道づくりは、さらに深い薮を切り開かなければなない個所もあって、大苦戦。でも、整備したあとは、どうでしょう、立派な杉並木に見えませんか?  

なんか時代劇とかに出てきそうな感じですか。結果が形になって見えるっていいですよね。




さて、道づくりで汗を流した後は、やっぱりおなかがすきます。お昼ご飯はお弁当だけでなく、地元の方からいただいた塩鮭をバーベキューで…。じゃがいもやキャベツと一緒に焼いて最後はちゃんちゃん焼き風に。箸は割り箸ではなく、ヤマ学校名物?の竹を割ったマイ箸づくりに挑戦してもらいました。




さあ、満腹になった午後は、道づくりの途中にあった廃屋をちょっと探検。大きな納屋は百年もたっているだろうかと思われる母屋の建物を転用したもの。立派な梁の広くて暗い空間に、様々な古い農具が置いてあります。1963年のカレンダーがかかっていて、時が止まったよう。野遊びをしていた「てんぐのヤマ学校」常連の小学生たち中学生たちは探検に興奮し、東京の中学生たちも興味津々…。またここは、昨年の震災時、津波に追われた人たちが一夜を明かした、いわば、1次避難所として使ったところで、布団など最低限の生活物資が、おいてありました。厳しい寒さの中、屋根のあるとこにとりあえず避難、ここで「発見」されて中在の避難所に向かったそうです。






さて、探検後はもうひと踏ん張り。そして、午後3時すぎ、この日の作業は無事終了。山道を切り開いた班と農道の草刈り班は無事、合流したのでした。そして、皆で記念写真…。お疲れさまでした。

さてはて、翌日はもうひとつ?のお楽しみ、歌津中学校サッカー部との交流試合。みんな、思いっきり楽しんでプレーしてね!!




歌津てんぐのヤマ学校では現在も「山の道復興プロジェクト」を続行しています。興味のある方はぜひ、ご参加ください。お待ちしています!詳しくは蜘瀧仙人までご連絡ください!!

(歌津てんぐのヤマ学校 後藤)

2012年7月31日火曜日

第2回被災地で学ぶワイルドキャンプ 参加者募集

この土地は残念ながら数十年後にはまた大きな津波が来るだろう。そのときは君たちが避難所を運営するんだ。」
「穴掘りや火起こしの訓練は、大変だった。でも、将来それが誰かの命を救ったり、生きのびることを助けるかもしれないと思うと、嬉しかった。」

歌津中学で過日おこなわれた中学生総合防災訓練での炊き出しの前に、先生の挨拶と生徒の感想の紹介がありました。

被災者が津波を生き残った教訓を将来に向けた災害教育に生かそうとしていることを受け、歌津てんぐのヤマ学校も「地域の経験に学ぶ」ことをめざします。
被災地外の人々が彼らの経験から学んで、「将来の自分の被災の可能性」に備える生きる力を養う災害教育企画を行なっていきます。

ふだんから電気水道やガスの補給がほぼない「さえずりの谷」ならではの、材料や道具を工夫しなければ暮らせないリアリティのなかに、あなたも身を置いて「自分の工夫力」を試してみませんか。
【日程】 2012年8月31日(金)~9月2日(日) 2泊3日
【開催地】 宮城県南三陸町歌津伊里前 さえずりの谷とその周辺
【対象】 小学校3年生~成人(18歳未満の方は保護者と一緒にご参加ください)

2012年7月24日火曜日

第1回 被災地で学ぶワイルドキャンプ フォトアルバム



7月14日から3日間の日程で南三陸町・歌津で行われた「第1回 被災地で学ぶワイルドキャンプ」。そのダイジェスト的フォトアルバムを少し…。



㊧歌津中学校の避難所運営に携わった阿部文洋さん(左)から説明を受ける参加者




㊤落橋した歌津大橋の付近で渡辺千之さんの説明を受ける参加者


被災者の経験から教えられる、災害時の工夫

7月14日(土) 
初日は正午から昼食を取りながらのオリエンテーションでキャンプスタート

避難所運営に携わった阿部文洋さんの案内で避難所になった歌津中学校を見学。阿部さんの話

「当初、中学校には約700人が避難していた。その後は住居が決まったり、出稼ぎに行く人が増えて、400‐500人となり、昨年の6月から仮設住宅への入居が始まったことで激減、8月に解散した」


2012年7月17日火曜日

ワイルドキャンプ、さえずりの谷で開催。

いよいよ7/14-16、被災地で学ぶワイルドキャンプの開催。 津波の被災現場を被災者とあるき、将来の自分の被災をシミュレーションするために欠乏条件で野営プログラムを始め、地元の方から「当時のやり方」を習って真似てみました。

参加者は当初予定の県外の小学生親子の参加が得られませんでしたが、地元歌津の小学生と親御さん、歌津訪問経験のある一般の参加者を中心に、スタッフを含め16名で、「やり方を工夫する」ことを学びました。

 参加者による話し合いで調達しなければならないものを決め、地元の情報を得て、井戸まで歩いて水くみ、薪になるものを探してたき火おこし。食料集めでは、海岸のメカブやワカメ、さえずりの谷のぐみや桑の実、子供らが捕まえたモクズガニなど。二日目には食器作りのため竹を切り出しに出ました。かんづめを食べたあと、灯明や調理器具に利用。がれきの残る沢では調理器具を拾って洗う子どもたち。ハサミと空き缶で調理する地元のお母さん。 活動の合間に、被災者から当時の話を具体的に伺い、野営についてアドバイスももらいました。

2012年7月13日金曜日

『被災地で学ぶワイルドキャンプ』開催間近

さえずりの谷で行われる「被災地で学ぶワイルドキャンプ」第一回(7/14~16)の準備をこの間ボランティアたちと行ってきました。今日は、登米のおいちゃん、歌津リピーターの吉田さん・神谷さん、ヤマ学校のさっちゃん、スパイダーで、キャンプ会場準備を継続。爆弾低気圧の大雨で浸水した備品を乾かしたり移動したり。刈払機も二台駆使して、梅雨で伸び放題になった草を綺麗に刈りました。今回の災害教育キャンプでは、キャンプグッズなしで工夫する「野営」を体験しつつ、津波被災の当事者から避難所運営時の苦労を聞く、という趣旨。そのため、普段は配置してある備品をいったん移動して、アレンジしなおす苦労も。鍋や調理器具を奥にしまいこみ、かわりに空き缶を置いておく。整備は大勢が手伝ってくれたおかげで、綺麗に刈りこまれた休耕田部分にテントが新たに張られ、「キャンプ地らしい風景」が久々に戻ってもきました。

2012年6月11日月曜日

はじめに、私が歌津てんぐのヤマ学校で活動を行うに至った経緯を簡単に紹介したい。
ボランティア活動をしたい。現在、被災地ではどのような活動が行われているのか。
RQ災害教育センターの東京での活動報告会を知ったのは、そんな思いがきっかけだった。
この活動報告会で得られる情報は、インターネットや新聞では知ることの出来ない情報だ。
現場で活躍されている方の生の声は、まさに衝撃だった。
3月と5月の報告会の中でひと際、私の心を掴んだのが今回の活動をされている通称”スパイダー”だった。


歌津の山の中での、テント生活。
自然の中で遊び、生きる知恵を学ぶ。
心の奥深くに眠っていた、子供心をくすぐり起こされた。

今回初めての歌津で私が行った活動は、以下の通りである。

・伊里前小学校4年生の課外授業でスパイダーが案内する予定の山の道・伊里前川上流河原のアクセス整備
・さえずりの谷で子供たちと遊ぶ
・現地の方と交流・意見交換
・歌津を知る


一泊二日の活動で、とても貴重なものを得ることが出来た。
テント泊で火の灯りでの生活。
野外での炊事は、なかなか味わう機会がないので新鮮。
昆虫や小動物を追いかけたのは、何年振りだったか。
子供と一緒に夢中になって遊んだ。
遊びながら、スパイダーや子供に教わる山や川での知恵。
自然と共存していることを実感できる活動であった。
二日間の休みがあれば参加できる活動。
毎月とはいかないが、参加し続けたいと思う。



最後に、さえずりの谷で子供の笑顔と未来を見つめるスパイダーの活動を今後も追いかけていきたい。

(歌津ボランティア 渡邉敬)

2012年5月30日水曜日

さえずりの谷に暮らす


5月頭からヤマ学校の拠点兼蜘瀧仙人(スパイダー)氏の居住地『さえずりの谷』に滞在している。
歌津の中心地である伊里前にありながら、車道から200mほど奥まった谷間の休耕田にあるため、秘境の趣のある場所だ。

もともと子供たちのサバイバルキャンプや自然遊びの場として始まった拠点のため、電気や水道はない。水は飲み水を事務所として使っているテント商店街から運ぶ他は、雨水や川の水を使う。電気は照明としてソーラー発電や電池式のライトがあるのみで、事務所まで行かないと電源はない。住居としての建物は無く、テントでの生活だ。

2012年5月2日水曜日

4月28日、29日、GWに歌津へ。

RQ登米復興交流センターから参加したコイケです。
自家用車で来ていた方に同乗させてもらい、一日目はヤマ学校イベントのお手伝い、
二日目には伊里前川の清掃を行いました。 

一日目。この日は「さえずりの谷」開きの日。
天気にも恵まれ、タンポポやつくし、青々とした野草、鳥たちの声が、さえずりの谷の春を彩っていました。

2012年4月25日水曜日

4/18 伊里前川でざわ作り

こんにちは。
RQ登米復興交流センターに来ているハスと申します。 

今日は、スパイダーさん、としさん、小林さんとともに、大沼さんのざわ作りの手伝いをさせていただきました。ざわとは、遡上してきたシロウオを追い込んで獲るための、石を積み上げてつくる壁のようなものです。
潮が満ちて川の水面が上がる前にと、8時半に歌津伊里前川のウタちゃん橋に集合、作業を始めます。運んできた石を川底にはられたロープに沿って並べていく地道な作業です。

2012年4月23日月曜日

4/22 馬頭観音のお祭りに合わせて1泊2日のお泊まりキャンプを行いました。


 4月22日、登米市米川、鱒淵地区にある華足(けそく)寺で行われた春季例大祭(ますぶち馬頭観音のお祭り)に合わせて21日から昔のお夜籠もりよろしく、1泊2日の日程でお泊まりキャンプを実施しました。参加者は伊里前小学校の2年生から5年生までの9人。歌津と登米は山を挟んでお隣さんの間柄ということもあり、昔は峠を越えて馬でお祭りに参加する人もいたそうで、ヤマ学校らしく当時に思いをはせながらのプログラムとなりました。

実際のプログラム内容をお話する前に、華足寺の説明を少し。

2012年4月17日火曜日

3/31 三嶋神社春季例祭に子ども神輿をだしました。

3/31写真 歌津三嶋神社 春季祭礼


子どもみこしを手作りしました。組手什が材料。小学校で短冊かざりつけ。かつぐ練習をヤマ学校でしました。

2012年4月11日水曜日

伊里前川ざわ漁・石積みを体験させてもらいました。

RQのボランティア活動の一環として、歌津伊里前川で漁師の千葉さんのシロウオ漁のざわ作りの手伝いをさせていただきました。
シロウオは普段海に棲息してますが早春に川を遡流して産卵します
この遡流してきたシロウオをざわという川の中に積まれた石組みを使って追い込み獲るわけです。シロウオは日本各地で獲れる魚ですがこのざわ漁はとてもめずらしい漁法だそうです。

2012年3月30日金曜日

三嶋神社・春の例祭をまえに、子供たちの準備

31日に歌津・三嶋神社で春の例祭が行われます。てんぐのヤマ学校では子ども神輿を製作して子どもたちと一緒に祭りを盛り上げます。春の例祭は江戸時代から続く伝統行事で、4年に1度行われてきました。昨年秋、行われる予定でしたが、震災の影響で中止に。年を越してようやく、従来より小さな規模ですが開催されることになりました。
三嶋神社の例祭で、子どもたちは本来、江戸時代から代々受け継がれた衣装を着て、山車に乗り、太鼓をたたいて町内を回ります。

2012年3月19日月曜日

川の語りを聞く ~川学校復活への模索

3/19伊里前川の清掃に取り組みました。群馬の遊び集団あるきんぐクラブさん一行が、ヤマ学校応援にきてくれ、参加しました。他にも歌津ボランティアリピーターだった方々が当日飛び入り参加してくれました。

子どもたちが遊べる水辺であり、春にはシロウオが遡上して伝統漁がなされる風物詩の光景がみられた、歌津の中心を流れる、山と海の命をつなぐ川。

 
福幸商店街の会長さんから、しろうお祭の取り組みの経緯をうかがいました。中学生が仕入れから体験する出店があったこと、しろうおのような指コンテストのこと、歌津に観光客に来てもらうための工夫のこと、など。
 
 
シロウオがどの辺にまで遡上してくるか、水深が変わってしまった伊里前川を前に、漁師さん同士の話し合いが行われています。

 
ガラス、陶器、鉄くず、衣類など様々拾うなかで、川底から見つかったのは、なんと流された千葉さんの船の鉤。巻き方が独特なので間違いなく自分のものだという。他にも歌津駅の切符切り鋏と思われるもの。
 
 
軽トラ二杯分を川から集めました。
 
 
河口近くであるため潮の満ち引きに応じて水位が変わり、胴長でなくブーツだと作業しながら足を濡らしてしまうことも。瓦で火を焚いて乾かしました。強風の中、あるきんぐクラブが持ってきてくれた「ヒデ」(赤松のヤニを吸った木片)で焚き木をすると勢いよく火が点きました。
 
この日はかなりの強風。風と水に対する対策の工夫、そのうえで水中や水辺から発見する様々な気付き。災害後の落し物や「思い出の品」に加え、復活しつつある生き物の息吹が見つかります。この日は石の下のハリゲコモリグモの仲間や、枯れ草の間に緑の芽を出す植物を見つけました。そんな活動の全てが、小さな「学び」につながると思います。現場で危険を回避する術を学び、自然の恵みを五感で感じる。それは災害教育でもあり、ほんらいヤマ学校の伝統であるかもしれません。
 
 
石組を積んでシロウオを追い込む「ざわ漁」に使う大きな石が津波で流され足りないと漁師さんは言います。大きな石は大雨で長い間かかって上流から転がってきたもの。シロウオが河床に産卵する場所は石の下。産卵に手頃なサイズの石も流されて少なくなっているらしい。川底のものを拾いながら、石の代わりをする構造物がないか、と考えてみました。たとえばたくさん川に落ちている瓦。土を焼いて作った瓦は、自然物である石にかなり物理性質が近いため、伝統的里山景観のなかでトカゲの日光浴場所になったり蛇の脱皮場所になったりします。ひょっとすると川でシロウオの産卵床の代わりをする人工物があるかもしれない、そんな実験をしてみたらどうだろう、と思いつきました。川学校の一つの課題になるかもしれない。

小学校の先生と話し合うと、川の危険がある程度取り去られ、子どもを連れていけるのはずっと先ではないか、とおっしゃいます。津波でえぐられた下流部は確かにそうかもしれない。であれば、我々大人が代わりに近寄って観察し、つかまえてきた生き物を、ナマのまま岸の上で見ている子どもたちに運んでやればいいかもしれない。何とかして、川の自然の姿を子どもたちに感じて欲しい。そして津波後の課題を、生き物の目線と子どもたちの目線にあわせて一緒に考えたい。それがてんぐのヤマ学校のテーマです。

2012年3月12日月曜日

シロウオの遡上する綺麗な伊里前川を子供たちに

■伝統シロウオ漁の行なわれる川の整備を手伝います

歌津てんぐのヤマ学校では、伊里前川で100年前からずっと行われてきた『ざわ漁』によるシロウオ漁が復活することを願って、川の整備のお手伝いさせていただくことにしました。ヤマ学校の主な地域の対象者は子供たちなので、長い目で川の再生を見守り行動して行く子ども世代を育てるお手伝いのために、という大きな目標があります。

シロウオ(ハゼ科)は春になると河口から少し登ったゴロ石の多い河床に産卵する習性があり、遡上するところを独特の石積みで追い込んで籠で獲るという全国でも珍しい『ざわ漁』が歌津にはありました。近年は『しろうお祭』として町の行事にもなっていました。石積みは、町の中心を流れる伊里前川の風物詩として、町の人には楽しみな光景でした。

津波は石積みを押し流し川の水辺の葦原を根こそぎにし、地震がもたらした地盤沈下は水深を変えてしまいました。環境が変わった今年、シロウオの遡上がどうなるかは未知数。それでも伊里前の漁師さんたちは、ざわ漁の復活に賭けることにしました。しろうお祭を主催する商工会の仮説店舗の皆さんも『シロウオ漁がみたい』と期待をかけているからです。

3/11の夕刻、若い漁師の千葉拓さんと一緒に伊里前川を歩き、現場を確認して、今年の漁の準備をお手伝いさせていただくことを決めました。3/19(月)が最初の作業日になります。


■滞在は自分で考えることから

歌津は宿泊施設がいくつかありますが、この時期予約が埋まっている可能性も高いです。ヤマ学校応援にきてくださることが以前から決まっていた栃木の自然学校『あるきんぐクラブ』さんの仲間たちは、上沢集会所に滞在します。キャンプ地・さえずりの谷は、雪がとけきらない寒さですが、昨夜から薪ストーブが稼働して、少々の煙たさは気にしないスパイダーは快適に暖かく寝ています。かつてのRQのように登米の鱒渕小に宿泊して自家用車で歌津入りする可能性もあるかもしれません(東京の社団または登米鱒渕小の浦田さっちゃんに確認してください)。

現時点では、御自分の移動手段や予算を勘案して、歌津での作業に加われるよう各自工夫していただきたいのです。津波の後の緊急支援期に、寒さと不便さをものともせずテント泊した歌津拠点についてお聞き及びだったと思います。春とはいえ、雪が降れば凍える寒さが、再びめぐってきています。

しっかり準備をして来てください。


■作業内容 川に学ぶこと、川に関わること

川の清掃、石運びなどです。冷たい水に入るので、防寒と防水が必須です。できれば、『胴長』を準備してください。水に入れる準備のない方は、川沿いの清掃などそれ以外の作業を工夫しましょう。例年のシロウオ漁準備とは勝手が違うので、作業は現場で臨機応変に変わる可能性があります。

もうひとつヤマ学校が計画している活動として、春休みの『里山学習&春遊び大作戦』があります。水に入っての作業ができない日、できない方は、川の自然や文化、仕事について学び、それを子供と分かち合う活動やその準備に携わっていただく場合もあります。

てんぐのヤマ学校では、歌津の山からの清流がつくる水辺が、湾につながっている生態系の豊かさを、地元の人々と共に学び、子供達に誇りを再確認してもらう機会として、川の整備も考えています。ボランティアは『何かをしてあげる』ということではなく、自発意思(ボランタリー)で、従来コミュニティにあった助け合い作業に、地元で暮らして行こうとするヤマ学校もまた参加する、ということととらえています。皆さん一人一人がそのヤマ学校プロジェクトの臨時スタッフです。
災害でうしなわれたものと、自然の復元力で生まれつつある命の息吹をしっかり感じとる学びの姿勢で参加してください。

また天候等により、作業が変更になる場合もあるのでご了承を。上記のヤマ学校のテーマに沿った、環境調査や、子供たちの活動支援やそのためのインフラ整備に切り替わることもあり得ます。

参加の問い合わせは、次のいずれかまで。

・東京在住の山下勇(野犬)。電話は夜間のみ。歌津の元現場スタッフで、地元の事情に明るい。
yamagakkou@gmail.com
090-6603-2030
・RQ災害教育センター。昼間対応できる東京の受付窓口。
rqdec@rq-center.jp
03-5834-7977

2012年3月11日日曜日

命をはぐくむ海と川に感謝する日々をとりもどしたい

 
 
■ 伊里前湾での慰霊祭
 
3・11 2時46分。南三陸町の防災放送からのサイレンが鳴る。
津波犠牲者を追悼する献花台が設けられた伊里前湾海辺。海を臨む位置に建っている伊里前福幸商店街のマルエーストアのご主人が、防潮堤の上から花束を海に投げ入れた。
 
昨夜は雪が降り、今日は朝から好天。夕刻から風が強くなり降雪となりそうとの天気予報が流れたのを聞き、町の人たちはみな「あの日と同じだ・・」とつぶやいた。夕方には冷たい風が吹き始め、川の水を触ってみたが驚くほど冷たかった。こんな冷たい水でずぶぬれになった被災者が、降りだした雪のなか高台へと逃げたあの日のことを、被災のあとにボランティアに来た私達は、想像するしかない。
 
避難所の炊き出し班だった元気なお母さんのめぐみさんが、まだ暖かかった秋頃に私に言ったことば。「雪が降った時に、津波の日がどんなだったか分かるんだよ。」  さえずりの谷の屋外テント小屋で冬を越そう、と決意したのは、実は彼女のこの言葉が大きかった。
 
電気や水道や暖房のライフラインが不十分なアウトドア生活を(毎日とはいわないまでも)継続してきて、マイナス15度の外気温の日も体験した。地元の人たちが気遣ってくれる心の温かさや、冬の保存食のありがたみ、海や畑でとれた新鮮な食べ物を分かち合ってくださるありがたみ、そして火鉢や身体を温める食材をはじめ厳しい寒さに立ち向かう昔暮らしの知恵の数々。。。この土地に移住を決めて8ヶ月、学ばせていただいたことは数知れない。
 
(一週間前の雪の歌津。小学校仮設住宅の向こうに伊里前川うたちゃんはし)
 
 
たくさんのボランティアがRQを通してこの地に来て復旧のお手伝いをしながら、たくさんの事を学ばせていただいたが、1年たって景色はコンクリの基礎がむき出しのエリアが広大に広がっている。半年以上ぶりに予告なくこの日伊里前を訪れてくれたRQの長期ボランティア・あっきー君との再会は嬉しかったが、三嶋神社参道からの光景を見て、「一年たって・・」と言葉をつまらせた。
 
 
■三嶋神社前にささげられた祈り
 
歌津の最大の祭りである三嶋神社秋の大祭は、4年に1度開催されるが、本来ならば去年がその年に当たっていた。勇壮な獅子舞、荒れ神輿、子どもによる笛太鼓囃子で知られたが、江戸時代からの手作り衣装を含めて津波で失われてしまった。今年3/31には、静岡県裾野市の三島神社にあった神輿が、氏子さんの好意で寄付いただけることになり、津波後初めての三嶋神社の神輿渡御が行われる。
 
夏と秋のさえずりの谷キャンプでは、子どもたちの手作りの神輿や獅子でお祭りごっこをした。そこに三嶋神社の記録ビデオから聞き取ったお囃子の笛の音を加えてくださったのが、RQボランティアだったいのりさん。この日、再び伊里前にかけつけてくださった。子どもたちとの再会を果たし三嶋神社にみんなで参拝しようと誘いを入れていたのだが、仕事を終えた親御さんが連れ出そうとしたときには遊びに出掛けてしまっていたという。さえずりの谷の常連である小学校低学年の彼らにとっては、貴重な遊びの日曜日。それもまた、地元での3・11の過ごし方だった。
 
3/31のお祭りには、子ども神輿をふたたび手作りして出そうという相談を、子どもと親たちと始めたところ。谷から町にヤマ学校の神輿が出るのは初めてのことなので、親子での参加を呼び掛けてやりましょうと、夏秋の参加者の親御さんと企画中。
 




 
朝から三嶋神社の参道下に、手づくり絵馬を書いていただく場所をいのりさんに手伝っていただいて設置した。大みそかには境内で法印(神主)さまと一緒に絵馬を参拝者に提供させていただいたのだが、ボランティアの娘さんがデザインした「うたつ」絵馬が再び登場。RQ跡地横に建つ白テント商店街の床屋・れい子さんのお子さん二人は絵馬を書きながら、小学生じぶんにお祭り太鼓に参加したことを懐かしがっていた。参道のすぐ脇に家があって流されてしまった「下地区の千葉さん」は、ガレキになった自分の土地にたち、子ども自分に神社参道や隣の山で遊んだ昔話を聞かせてくださった。氏神さまの石も流されてしまったこと。古いお墓が、津波以前にも造成のたびに移転させられたり、宅地化に際して合葬を余儀なくされたこと。
 
伊里前にはとても古い歴史のある家に住んでいた人たちが多い。彼ら彼女らが語る「ここにあった家」は、建物だけではなく、古い記憶につながっていく。子どものころの光景、さらにはおじいちゃんのおじいちゃんが云々。津波が奪えなかったものの一つは、そういう共同体の記憶だ。それが、共同体が復興していくときの大切な鍵の一つだと、てんぐのヤマ学校は信じている。それゆえに、そうした「語り」を子どもたちをふくめた若い世代に伝承していただくお手伝いをしようとしている。
 
 
■海と山をつなぐ伊里前川の豊かさ 
 
自然の脅威と恵み、そして共生と人の絆。1000年ぶりの大津波は、千年前からこの地の人々に大切にされてきた、自然への畏敬と感謝を、一年たって、語る人々がいる。慰霊祭の場に自動車ではなく仮設住宅から自転車でかけつけた若い漁師の千葉拓さんは、一緒に伊里前川を河口から歩きながら、津波前の町並みと人々、子どもたちの笑顔のことを、昨日のことのように語ってくれた。
 
  
「この水門の橋のところで子どもの頃遊んでは、汽水域に集まるボラやクサフグを獲って、『クサフグ祭りだ!』と大騒ぎした」

「橋げたの間のこんなところに流されたカキが挟まってる! うちほのカキかもしんね。今年はじゃみっ子(小さくて味の濃い特別のカキ)はとれるだろうから、食べてもらいますよ」
 
「ここにとても大きな家があって、ここにあった路地にものを持っていくと、いつも小さな子が顔をだして可愛かった」
 
「川から上がってくる色んな生きものが、道路際のこの側溝に住んでいて、子どもの頃の遊び相手だった。そこも復興計画の道路のかさ上げで消えてしまうんだよな。」
 
地盤沈下して深さが変わってしまった伊里前川は、以前は河口からすぐのところにシロウオが遡上して産卵していた。今の時期から準備して、川の中に石組をつくって籠で獲る「ザワ漁」が戦後の伝統漁法としてなされていた。津波による地盤沈下で、川の深さが変わってしまったので、この日、川沿いを歩きながら、ザワ漁を再開する場所を検討する拓さんに同行した。津波で流されてしまった石組を復活するのに、人手がいるという。3年前からシロウオ祭りとして町の行事にもしていたこの漁は、ぜひ再開してほしいと、商工会の人たちも願っている。「手が足りなければお手伝いさせて欲しい」と申し上げ、全国でも貴重なこの漁の準備作業を地元の方と一緒に体験させていただく研修ツアーを、ヤマ学校で準備することになるみこみ。
 
しろうおの遡上だけでなく、湾の漁獲の豊かさ・生き物の生態系の豊かさは、山から流れる栄養を運びこむ伊里前川の清流が大きく支えている。美しい川を再生させる課題は、沿岸地形の変化という問題もかかえつつ、長期にわたって地元と一緒にとりくまねばならないことだ。
 
今年ヤマ学校に課外授業で来てくれた児童たちは、来年は田束山の動植物について総合科で学習する。そこにヤマ学校から講師として参加させていただくことが決まった。春からは、山川海の生き物の恵みと環境の再生について、子どもたちと一緒に考えていく都市農村交流を作っていきたい。

2012年1月3日火曜日

卯から辰へ うたつ復興ごよみ


 

  
■てんぐ通信1/3号
 
RQ歌津センター跡地をひきついだ「歌津 てんぐのヤマ学校」は、「さえずりの谷」管理人スパイダーと、樋の口「せせらぎ荘」住人野犬との二人が現地滞在メンバーとして冬越しに挑戦中です。零下9度まで下がった「谷」での暮らしが容易でないのはもちろんですが、11月末に建った約12畳のテント集会小屋は、床下を煙で温めるとか室内に火鉢を置くなどして、「昭和30年代的」な冬対策を進めてきました。地元の方の知恵をいただきながらも、RQ撤収後の物品整理で多忙ななか、しろうと仕事でほぼ一人二人の力で取り組んできた「対策」は、自分でも不十分だと分かっています。しかし、初めてで不慣れでも、中途半端でも、一期一会で与えられたこの「場」を捨てない。歌津でも有数の強風地帯である旧RQ敷地あたりには、個人仮設を建てて住んでおられる隣人もおられます。彼女らと「お互いがんばって春を迎えましょうね」と声をかけあいつつ、RQコンテナよりずっとシンプルな「納屋→事務所」小屋住まいは続いています。歌津センターのあった場所に今建っている小さな小屋(上画像)は、譲ってくださった大工の佐藤さん、サッシのそもそもの出所である三嶋神社さん、土地使用の許可の上、断熱工事まで協力してくださったお隣の三浦さんなどの「巡り合わせ」のささやかな建物