2012年8月25日土曜日

西巣鴨中学校地域サポートクラブの皆さんと山の道復興プロジェクト

8月上旬、歌津てんぐのヤマ学校に東京都豊島区立西巣鴨中学校のサッカー部員やOBらで構成する、西巣鴨中学校地域サポートクラブ(西巣鴨中SC)の皆さん総勢31人が、ボランティアに来てくださいました。昨年は旧RQ歌津センターで写真の再生などをお手伝いしてくれましたが、今回は現在、歌津てんぐのヤマ学校が取り組んでいる「山の道復興プロジェクト」をお手伝い。約20人が歌津の山中で一生懸命、作業してくれました。

「山の道復興」は、今回の震災で津波が届かなかった古い山道を整備することで、隣の集落に峠越えしていく「山遊びの道」「トレイル」を復活させようという活動です。今回取り組んだのは、「気仙道」と呼ばれた江戸時代の街道の跡。使われていない古い道は藪に戻り、けもの道状態。以前は子供たちのヤマ学校の場だったっというこうした道を、子供やハイカーやマウンテンバイクが通うようになれば、「高台の道」が復活するだろう、という願いを込め、かつてヤマ学校で遊んだ世代の地元の方から聞き取りして、「道跡」をたどる準備をしたものです。

海沿いの道が壊滅的な打撃を受けて「陸の孤島」と化した歌津では、こうした古い山の道を記憶している世代が、緊急時のアクセス路として使ったという証言もあります。三陸のリアス式海岸地形では、大量運送流通ができる平らなハマの道と、起伏があり狭いヤマの道が両方あって、後者がいざという時のバックアップになっていたのだと言います。しかし、薪炭が使われなくなって、森の中の小道は荒れて通れなくなってしまいました。「いざという時、そういう道が大事だべなあ」と災害時の必要を見直す声を最近地元で聞きます。





今回、皆さんとともに作業したのは、仙台・気仙沼をつなぐ街道であった「気仙道」の歌津部分の一部で、津波が伊里前川をニキロさかのぼった地点である中在集落からスタート。数件の空き家が残る集落「白山(しらやま)」への道の整備に着手しました。現在、志津川から歌津方面は、通常は45号線で清水浜・細浦・皿貝・ハマ地区の伊里前・港、と車道で移動します。かつては山路を通って、細浦(ガッカラ石)の森の七里塚、サラガイ化石の発見地である皿外の森、今回作業した白山、伊里前川沿いの中在の七里塚、石泉の七里塚、山路を通って港方面(グリーンロード)へ、というのが主たる街道でした。これは、今回の大津波がちょうど達しなかった高さを走っている道であることがわかります。

中在から石泉、港への道は、現在も生活道路として日常、使われています。中在から細浦への山路は、車は入れないトレイルでしたが、現在は荒れて刈払いしなければ通れない状態です。白山集落へは軽トラ道が別にあったのですが、これも草刈りが必要な状態。

さて、西巣鴨中SCのメンバーは、森の中に道を復活させる班と、白山集落の農道の草刈りをする班の二手に分かれて作業をしてくれました。中学生はみな、森の道復興班で活動を開始。まずはヤマ学校よろしく伊里前川を靴を濡らしながら渡って近道をし、田んぼから森の中へ入っていきます。そこには確かに道らしき跡が…。でも、これをきちんとした道にするのはなかなか大変な作業です。




まず、草を抜き、出っ張った枝を切り落とします。太い丸太にはチェーンソーの出番。切った枝を路肩に見立てますが、ところどころ道が分からなくなり、都会っ子たちは迷子になってしまうことも(汗)。しかし、地元の子どもたちにとっては絶好の遊び場であり、彼らに迷うなんて言葉はありません。中学生が藪と格闘している間、低い松林の根元の藪の隙間をくぐって、「トトロの道」よろしく、中学生より早く藪を抜けてしまったりしていました。うーん、慣れですかね? 








話をもとにもどしましょう。道づくりは、さらに深い薮を切り開かなければなない個所もあって、大苦戦。でも、整備したあとは、どうでしょう、立派な杉並木に見えませんか?  

なんか時代劇とかに出てきそうな感じですか。結果が形になって見えるっていいですよね。




さて、道づくりで汗を流した後は、やっぱりおなかがすきます。お昼ご飯はお弁当だけでなく、地元の方からいただいた塩鮭をバーベキューで…。じゃがいもやキャベツと一緒に焼いて最後はちゃんちゃん焼き風に。箸は割り箸ではなく、ヤマ学校名物?の竹を割ったマイ箸づくりに挑戦してもらいました。




さあ、満腹になった午後は、道づくりの途中にあった廃屋をちょっと探検。大きな納屋は百年もたっているだろうかと思われる母屋の建物を転用したもの。立派な梁の広くて暗い空間に、様々な古い農具が置いてあります。1963年のカレンダーがかかっていて、時が止まったよう。野遊びをしていた「てんぐのヤマ学校」常連の小学生たち中学生たちは探検に興奮し、東京の中学生たちも興味津々…。またここは、昨年の震災時、津波に追われた人たちが一夜を明かした、いわば、1次避難所として使ったところで、布団など最低限の生活物資が、おいてありました。厳しい寒さの中、屋根のあるとこにとりあえず避難、ここで「発見」されて中在の避難所に向かったそうです。






さて、探検後はもうひと踏ん張り。そして、午後3時すぎ、この日の作業は無事終了。山道を切り開いた班と農道の草刈り班は無事、合流したのでした。そして、皆で記念写真…。お疲れさまでした。

さてはて、翌日はもうひとつ?のお楽しみ、歌津中学校サッカー部との交流試合。みんな、思いっきり楽しんでプレーしてね!!




歌津てんぐのヤマ学校では現在も「山の道復興プロジェクト」を続行しています。興味のある方はぜひ、ご参加ください。お待ちしています!詳しくは蜘瀧仙人までご連絡ください!!

(歌津てんぐのヤマ学校 後藤)