てんぐのヤマ学校について

宮城県南三陸町 旧歌津町地区、海からほど近い隠れ谷の棚田跡を整備して作った「さえずりの谷」を拠点に活動している。
津波で街並みと浜の遊び場を失った被災児童たちのために、自然豊かな遊び場を設け、手作りの子ども祭り復活や、里山の伝統遊び・ものづくりの復興にとりくむ。
この地域で「ヤマ学校する」とは、学校をサボって校外の自然の中で遊びや冒険、いたずらを通して学ぶ実学のこと。地域にはたくさん「ヤマ学校卒」の大人たちがいて、山や浜の遊びや生活技術を教えてくださる。山が海に迫った地形にある歌津は、歴史・文化も自然もひとも、たくさんの宝を持っている。霊峰・田束山を中心に修験道が盛んだった土地で、今でも町の中に祈りがある。自然を活かし、自然の前に脆弱だった都市のライフラインではない、自然のなかにある命の絆(ライフライン)を活用する知恵、昔ながらの生活力を伝承し、人間の力・コミュニティの伝統の力を再確認する場である。

≪来歴≫
2011年3月から11月まで東日本大震災の緊急支援ボランティアを行った「RQ市民災害救援センター」の「RQ歌津センター」の活動から誕生した。
津波被害で歌津の「浜」は壊滅したが、同じく壊滅状態の志津川にある町役場からの救援の手は遅れた。ボランティアさえ来ない状況下で、町の人たちは江戸時代からの互助組織「契約会」が中心になって避難所運営をし、山の人が浜に物資を運びこんで自力で生き抜いた。2週間遅れてRQ市民災害支援センターがボランティア組織としては一番に歌津入りし、伊里前地区の契約会の紹介で、その地に土地を借りてテント村のボラセンを設営した。以来、斜面林の人の手でしか片付けられない漂着物の撤去と写真等思い出の品の洗浄、漁師さんの依頼での網のクリーニング作業、半壊した家の片付け作業、避難所や仮設住宅への支援など、しだいに地元の顔の見える関係でのお手伝いをするようになった。
そうした中で、地元に遊び場が作れないかというお母さん方の声を受け、棚田跡地の活用が始まった。夏休みには地元児童対象のサバイバル・キャンプを開催した。子供たちがキャンプ場に来てまず自作する竹のコップは契約会の男たちが、津波翌日に竹を切って作ったコップを6月に避難所の詰め所を解散するまでずっと大切に名前を書いて使い続けたのを追体験である。このキャンプをきっかけに、毎週土日や長期休暇に子どもたちが集まる新たな遊び場となっていった。


≪今までの主な活動≫
手作りのお祭り復元、
ヤナギや杉を使った建物づくり
台風で被災した遊び場の橋や道の復旧作業
山の幸の感謝祭
焚き火でのケーキ・縄文土器・燻製づくり
化石掘りや石器ごっこ