ワイルドだぜ、てんぐのヤマ学校
三年 鎌田圭悟
ぼくは、ヤマ学校に通っている。『てんぐのヤマ学校』だ。場所は、さえずりの谷。先生は、スパイダー。くもたきのりと、ともいう。
しんさい後、歌津にうつり住んで、ボランティア活動をしている。子どもたちと遊んだりして、歌津のふっこうのためにがんばっている。
スパイダーは、ぼくたちにいろんなことを教えてくれる。マッチ三本だけでスギの葉に火をつける方法や、竹をのこぎりで切ってコップをつくる方法を、教えてもらった。それから、また津波が来てもにげられるように、山の中の道も教えてもらった。そのほかにも、海の水をくんで塩をつくったり、そのしおで氷をひやして、いろんなあじのアイスをつくったりもした。どろんこをまるめて、灰のつぼに入れて、カイロをつくったこともあった。スパイダーはなんでも知っている。
今年の夏休みは、さえずりの谷で二はく三日のキャンプをした。一日目は、はらいかわの川に行ってつりをした。ぼくは四ひき、お兄ちゃんは八ぴきつった。本当は、ヤマメをつりたかったけれど、ぼくたちがうるさくしたのでかくれてしまった。その後川に入って、せいじくんとたくみくんとりょうすけくんとスパイダーで水のかけ合いをした。暑かったけど、川の水はとてもつめたかった。アブがおそってきて、みんなでがんばって、たいじしようとしたけど、ぜんぜんたおせなかった。谷に帰って、みんなで夕ごはんをつくって食べていたら、てんぐがきた。てんぐは、さえずりの谷の話をいっぱいして、帰って行った。
二日目の朝は、みんなでラジオ体操をした。電車ごっこや花火もした。ゴムでっぽうを作って、サバイバルゲームをして、みんなで走り回った。スパイダーもみんなもあせだらけになった。すごく楽しかった。またいつかやってみたいと思う。
この間の日曜日は、さえずりの谷で、ニワトリをさばいて食べた。おなかの中をみたら、ちゃんとできているたまごが二つ、すごく小さいたまごが十こいじょうあった。肉は、くしにさして、やいうて食べた。あじは、しょっぱかった。ニワトリをさばくのは、はじめてで、気もちわるかった。でもおいしかった。ニワトリをさばいて食べるのは、野ばんだと思うけど、おいしそうだから食べた。いつもスパイダーは、
「食べものはのこすな。」
と言う。ぼくは、これからも食べものは、なんでものこさないで食べようと思う。
ワイルドなてんぐのヤマ学校がとても楽しい。これからどんな活動をするのか、とっても楽しみだ。
払川(伊里前川上流)で川遊び。水が冷たくて気持ちいい。
大雨になったので、トンネルで遊ぶ。暗闇で目隠しなしのスイカ割り。
海水を釜で煮詰めてつくった塩。味があってとても美味しかった。
塩と魚屋さんでもらった氷を使って、手作りアイスを凍らせた。
飼っていたニワトリをさばいて、肉も皮も骨も内臓も足も全部食べました。スープが美味しかった。
歌津てんぐのヤマ学校
南三陸町歌津 山と海で生きる昔ながらの知恵・祭り・遊びの復興を子どもたちと
2012年9月28日金曜日
2012年8月25日土曜日
西巣鴨中学校地域サポートクラブの皆さんと山の道復興プロジェクト
「山の道復興」は、今回の震災で津波が届かなかった古い山道を整備することで、隣の集落に峠越えしていく「山遊びの道」「トレイル」を復活させようという活動です。今回取り組んだのは、「気仙道」と呼ばれた江戸時代の街道の跡。使われていない古い道は藪に戻り、けもの道状態。以前は子供たちのヤマ学校の場だったっというこうした道を、子供やハイカーやマウンテンバイクが通うようになれば、「高台の道」が復活するだろう、という願いを込め、かつてヤマ学校で遊んだ世代の地元の方から聞き取りして、「道跡」をたどる準備をしたものです。
海沿いの道が壊滅的な打撃を受けて「陸の孤島」と化した歌津では、こうした古い山の道を記憶している世代が、緊急時のアクセス路として使ったという証言もあります。三陸のリアス式海岸地形では、大量運送流通ができる平らなハマの道と、起伏があり狭いヤマの道が両方あって、後者がいざという時のバックアップになっていたのだと言います。しかし、薪炭が使われなくなって、森の中の小道は荒れて通れなくなってしまいました。「いざという時、そういう道が大事だべなあ」と災害時の必要を見直す声を最近地元で聞きます。
今回、皆さんとともに作業したのは、仙台・気仙沼をつなぐ街道であった「気仙道」の歌津部分の一部で、津波が伊里前川をニキロさかのぼった地点である中在集落からスタート。数件の空き家が残る集落「白山(しらやま)」への道の整備に着手しました。現在、志津川から歌津方面は、通常は45号線で清水浜・細浦・皿貝・ハマ地区の伊里前・港、と車道で移動します。かつては山路を通って、細浦(ガッカラ石)の森の七里塚、サラガイ化石の発見地である皿外の森、今回作業した白山、伊里前川沿いの中在の七里塚、石泉の七里塚、山路を通って港方面(グリーンロード)へ、というのが主たる街道でした。これは、今回の大津波がちょうど達しなかった高さを走っている道であることがわかります。
中在から石泉、港への道は、現在も生活道路として日常、使われています。中在から細浦への山路は、車は入れないトレイルでしたが、現在は荒れて刈払いしなければ通れない状態です。白山集落へは軽トラ道が別にあったのですが、これも草刈りが必要な状態。
さて、西巣鴨中SCのメンバーは、森の中に道を復活させる班と、白山集落の農道の草刈りをする班の二手に分かれて作業をしてくれました。中学生はみな、森の道復興班で活動を開始。まずはヤマ学校よろしく伊里前川を靴を濡らしながら渡って近道をし、田んぼから森の中へ入っていきます。そこには確かに道らしき跡が…。でも、これをきちんとした道にするのはなかなか大変な作業です。
まず、草を抜き、出っ張った枝を切り落とします。太い丸太にはチェーンソーの出番。切った枝を路肩に見立てますが、ところどころ道が分からなくなり、都会っ子たちは迷子になってしまうことも(汗)。しかし、地元の子どもたちにとっては絶好の遊び場であり、彼らに迷うなんて言葉はありません。中学生が藪と格闘している間、低い松林の根元の藪の隙間をくぐって、「トトロの道」よろしく、中学生より早く藪を抜けてしまったりしていました。うーん、慣れですかね?
話をもとにもどしましょう。道づくりは、さらに深い薮を切り開かなければなない個所もあって、大苦戦。でも、整備したあとは、どうでしょう、立派な杉並木に見えませんか?
なんか時代劇とかに出てきそうな感じですか。結果が形になって見えるっていいですよね。
さて、道づくりで汗を流した後は、やっぱりおなかがすきます。お昼ご飯はお弁当だけでなく、地元の方からいただいた塩鮭をバーベキューで…。じゃがいもやキャベツと一緒に焼いて最後はちゃんちゃん焼き風に。箸は割り箸ではなく、ヤマ学校名物?の竹を割ったマイ箸づくりに挑戦してもらいました。
さあ、満腹になった午後は、道づくりの途中にあった廃屋をちょっと探検。大きな納屋は百年もたっているだろうかと思われる母屋の建物を転用したもの。立派な梁の広くて暗い空間に、様々な古い農具が置いてあります。1963年のカレンダーがかかっていて、時が止まったよう。野遊びをしていた「てんぐのヤマ学校」常連の小学生たち中学生たちは探検に興奮し、東京の中学生たちも興味津々…。またここは、昨年の震災時、津波に追われた人たちが一夜を明かした、いわば、1次避難所として使ったところで、布団など最低限の生活物資が、おいてありました。厳しい寒さの中、屋根のあるとこにとりあえず避難、ここで「発見」されて中在の避難所に向かったそうです。
さて、探検後はもうひと踏ん張り。そして、午後3時すぎ、この日の作業は無事終了。山道を切り開いた班と農道の草刈り班は無事、合流したのでした。そして、皆で記念写真…。お疲れさまでした。
さてはて、翌日はもうひとつ?のお楽しみ、歌津中学校サッカー部との交流試合。みんな、思いっきり楽しんでプレーしてね!!
歌津てんぐのヤマ学校では現在も「山の道復興プロジェクト」を続行しています。興味のある方はぜひ、ご参加ください。お待ちしています!詳しくは蜘瀧仙人までご連絡ください!!
(歌津てんぐのヤマ学校 後藤)
(歌津てんぐのヤマ学校 後藤)
2012年7月31日火曜日
第2回被災地で学ぶワイルドキャンプ 参加者募集
「この土地は残念ながら数十年後にはまた大きな津波が来るだろう。そのときは君たちが避難所を運営するんだ。」
「穴掘りや火起こしの訓練は、大変だった。でも、将来それが誰かの命を救ったり、生きのびることを助けるかもしれないと思うと、嬉しかった。」
歌津中学で過日おこなわれた中学生総合防災訓練での炊き出しの前に、先生の挨拶と生徒の感想の紹介がありました。
被災者が津波を生き残った教訓を将来に向けた災害教育に生かそうとしていることを受け、歌津てんぐのヤマ学校も「地域の経験に学ぶ」ことをめざします。
被災地外の人々が彼らの経験から学んで、「将来の自分の被災の可能性」に備える生きる力を養う災害教育企画を行なっていきます。
ふだんから電気水道やガスの補給がほぼない「さえずりの谷」ならではの、材料や道具を工夫しなければ暮らせないリアリティのなかに、あなたも身を置いて「自分の工夫力」を試してみませんか。
「穴掘りや火起こしの訓練は、大変だった。でも、
歌津中学で過日おこなわれた中学生総合防災訓練での炊き出しの前
被災者が津波を生き残った教訓を将来に向けた災害教育に生かそう
被災地外の人々が彼らの経験から学んで、「
ふだんから電気水道やガスの補給がほぼない「さえずりの谷」
【日程】 2012年8月31日(金)~9月2日(日) 2泊3日
【開催地】 宮城県南三陸町歌津伊里前 さえずりの谷とその周辺
【対象】 小学校3年生~成人(18歳未満の方は保護者と一緒にご参加ください)
【開催地】 宮城県南三陸町歌津伊里前 さえずりの谷とその周辺
【対象】 小学校3年生~成人(
2012年7月24日火曜日
第1回 被災地で学ぶワイルドキャンプ フォトアルバム
7月14日から3日間の日程で南三陸町・歌津で行われた「第1回 被災地で学ぶワイルドキャンプ」。そのダイジェスト的フォトアルバムを少し…。
㊧歌津中学校の避難所運営に携わった阿部文洋さん(左)から説明を受ける参加者
被災者の経験から教えられる、災害時の工夫
7月14日(土)
初日は正午から昼食を取りながらのオリエンテーションでキャンプスタート避難所運営に携わった阿部文洋さんの案内で避難所になった歌津中学校を見学。阿部さんの話
「当初、中学校には約700人が避難していた。その後は住居が決まったり、出稼ぎに行く人が増えて、400‐500人となり、昨年の6月から仮設住宅への入居が始まったことで激減、8月に解散した」
2012年7月17日火曜日
ワイルドキャンプ、さえずりの谷で開催。
いよいよ7/14-16、被災地で学ぶワイルドキャンプの開催。 津波の被災現場を被災者とあるき、将来の自分の被災をシミュレーションするために欠乏条件で野営プログラムを始め、地元の方から「当時のやり方」を習って真似てみました。
参加者は当初予定の県外の小学生親子の参加が得られませんでしたが、地元歌津の小学生と親御さん、歌津訪問経験のある一般の参加者を中心に、スタッフを含め16名で、「やり方を工夫する」ことを学びました。
参加者による話し合いで調達しなければならないものを決め、地元の情報を得て、井戸まで歩いて水くみ、薪になるものを探してたき火おこし。食料集めでは、海岸のメカブやワカメ、さえずりの谷のぐみや桑の実、子供らが捕まえたモクズガニなど。二日目には食器作りのため竹を切り出しに出ました。かんづめを食べたあと、灯明や調理器具に利用。がれきの残る沢では調理器具を拾って洗う子どもたち。ハサミと空き缶で調理する地元のお母さん。 活動の合間に、被災者から当時の話を具体的に伺い、野営についてアドバイスももらいました。
参加者は当初予定の県外の小学生親子の参加が得られませんでしたが、地元歌津の小学生と親御さん、歌津訪問経験のある一般の参加者を中心に、スタッフを含め16名で、「やり方を工夫する」ことを学びました。
参加者による話し合いで調達しなければならないものを決め、地元の情報を得て、井戸まで歩いて水くみ、薪になるものを探してたき火おこし。食料集めでは、海岸のメカブやワカメ、さえずりの谷のぐみや桑の実、子供らが捕まえたモクズガニなど。二日目には食器作りのため竹を切り出しに出ました。かんづめを食べたあと、灯明や調理器具に利用。がれきの残る沢では調理器具を拾って洗う子どもたち。ハサミと空き缶で調理する地元のお母さん。 活動の合間に、被災者から当時の話を具体的に伺い、野営についてアドバイスももらいました。
2012年7月13日金曜日
『被災地で学ぶワイルドキャンプ』開催間近
さえずりの谷で行われる「被災地で学ぶワイルドキャンプ」第一回(7/14~16)の準備をこの間ボランティアたちと行ってきました。今日は、登米のおいちゃん、歌津リピーターの吉田さん・神谷さん、ヤマ学校のさっちゃん、スパイダーで、キャンプ会場準備を継続。爆弾低気圧の大雨で浸水した備品を乾かしたり移動したり。刈払機も二台駆使して、梅雨で伸び放題になった草を綺麗に刈りました。今回の災害教育キャンプでは、キャンプグッズなしで工夫する「野営」を体験しつつ、津波被災の当事者から避難所運営時の苦労を聞く、という趣旨。そのため、普段は配置してある備品をいったん移動して、アレンジしなおす苦労も。鍋や調理器具を奥にしまいこみ、かわりに空き缶を置いておく。整備は大勢が手伝ってくれたおかげで、綺麗に刈りこまれた休耕田部分にテントが新たに張られ、「キャンプ地らしい風景」が久々に戻ってもきました。
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