津波で流された生活物資を拾っては川で洗って使った、という当初の苦労の証言を昨年来たくさん聞きました。今日下見で歩いてみた管の浜追分から旧東浜街道ぞいの沢には、まだ片付けられていない漂着物があふれている場所があります。未開封の調味料ボトルから自動車まで、いまだに津波のナマナマしさを語る場所です。管の浜の「追分」三叉路から奥の沢は、RQ市民災害救援センターが漂着した大量の発泡スチロール箱の片付けをした場所。そのすぐ近くに、子どもたちが沢遊びで拾った人形を洗って「マリオ温泉」にしたり、トンネルや橋の下を一時冷蔵庫がわりにする「もぐらの穴学校」を今やっているところがあります。ワイルドキャンプでは、ここを浜からの避難路としてさえずりの谷のある高台まで歩くということから、プログラムが始まります。
キャンプでは、津波被災直後から住民自身が自助努力で生き伸びた証言を聞きます。津波当夜から3日3晩避難所の外で雪の降るなか火を焚き続けた小野寺弘司さん(伊里前契約会)、高台に住み停電のなか井戸水を提供した小野さん、中学校避難所でボランティアの対応を仕切った阿部ふみひろさんなどに、お話を聞かせていただくようお願いしました。今日は石泉にある小野さん宅の井戸に下見にいき、3m下の水面の水をバケツでどうやって上手に汲むか、試行錯誤もし、コツを伝授していただきもしました。ポリタンクがなければ何で汲んでくるんだろう、など、スタッフとボランティアであれこれ議論し、さらに被災当事者に「実際どうだったのですか」と聞き取り。そんなプログラム準備プロセスをたどっています。
作業ボランティアの食事も、半分はワイルドキャンプ風、というか電源・水道のない普段の谷暮らしを体験してもらっています。テントに宿泊した朝は、ラジオ体操で始まり、前日炊いたご飯をお茶漬けで食べます。おかずは昨年の歌津産シャケの塩漬け保存したものや、歌津産ワカメ、
梅干しなど。昼は持ち寄ったおにぎりを焼き飯に、夜は蟹殻でダシをとったみそ汁や梅干しをつけた梅酢でサラダドレッシングなど、各自の工夫で限られた食材でも豊かなメニューを創作。
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夜には伊里前小学校「附属たつがね学校」の地域向け学習会があり、みんなで参加しました。唱歌を歌う前半につづき、小野寺寛さん(伊里前契約会)が南三陸町に残る古い津波の言い伝えとしての地名について教えてくださいました。昔の海岸線はいまよりずっと奥に入っていた
こと、そこからさらに大津波が来れば、いまでは山の中と思われる入谷地区などにも津波は来ているはずで、それが「船河原」「残り屋」あるいは歌津の「イカ座」等の地名に残っている。口伝で後世に津波の教訓を残そうとしたのだ、自分の体験にとどまらず「高台に逃げろ」の教訓を歴史に残すことが大切だ、と訴えられました。東北一円に最近311基建てられた「波来の地」碑が歌津に33基あることも教えていただきました。ヤマ学校では先日、伊里前川を二キロ津波が上がった中在地区にある同碑を見てきたところでした。そうした碑のある場所を訪ね、その周辺のヤマの道をたどりつつ、地元の子どもたちが自然観察やヤマ遊びを展開する、というヤマ学校の活動もまた、将来に教訓を残すための小さな一助となることを願っているものです。
会場におられたヤマ学校常連児童のお母さんや総合的学習授業をお手伝いさせていただいている学年の先生にご挨拶。
夏休み前には、8/17-19に企画している地元の子ども向けキャンプのプログラム作りを、子ども・保護者といっしょにやろうと思っています。さえずりの谷での活動に留まらず、高台の古い「ヤマの道」を復活させる藪こぎしつつのヤマ遊び・道標作り、海に親しむ遊び場の復興などを、地域と一緒にとりくむきっかけをつくるのが目標です。これは道づくり、遊び場づくりの、人手のいる作業になると思われます。子どもばかりでなく、地域の大人たちがかつて遊び、昔の人が生活や仕事の道路として使い、自然豊かな環境がいまも残る「道」。三陸道などの大型開発や巨大堤防やかさ上げという「防御」のラインとは別に、安全と避難のラインというものを、「ヤマの道」作業ボランティアをしつつ、地元とともに考えていきたいと思います。
夏休み前には、8/17-19に企画している地元の子ども向けキャンプのプログラム作りを、子ども・保護者といっしょにやろうと思っています。さえずりの谷での活動に留まらず、高台の古い「ヤマの道」を復活させる藪こぎしつつのヤマ遊び・道標作り、海に親しむ遊び場の復興などを、地域と一緒にとりくむきっかけをつくるのが目標です。これは道づくり、遊び場づくりの、人手のいる作業になると思われます。子どもばかりでなく、地域の大人たちがかつて遊び、昔の人が生活や仕事の道路として使い、自然豊かな環境がいまも残る「道」。三陸道などの大型開発や巨大堤防やかさ上げという「防御」のラインとは別に、安全と避難のラインというものを、「ヤマの道」作業ボランティアをしつつ、地元とともに考えていきたいと思います。
(by スパイダー)