2012年1月3日火曜日

卯から辰へ うたつ復興ごよみ


 

  
■てんぐ通信1/3号
 
RQ歌津センター跡地をひきついだ「歌津 てんぐのヤマ学校」は、「さえずりの谷」管理人スパイダーと、樋の口「せせらぎ荘」住人野犬との二人が現地滞在メンバーとして冬越しに挑戦中です。零下9度まで下がった「谷」での暮らしが容易でないのはもちろんですが、11月末に建った約12畳のテント集会小屋は、床下を煙で温めるとか室内に火鉢を置くなどして、「昭和30年代的」な冬対策を進めてきました。地元の方の知恵をいただきながらも、RQ撤収後の物品整理で多忙ななか、しろうと仕事でほぼ一人二人の力で取り組んできた「対策」は、自分でも不十分だと分かっています。しかし、初めてで不慣れでも、中途半端でも、一期一会で与えられたこの「場」を捨てない。歌津でも有数の強風地帯である旧RQ敷地あたりには、個人仮設を建てて住んでおられる隣人もおられます。彼女らと「お互いがんばって春を迎えましょうね」と声をかけあいつつ、RQコンテナよりずっとシンプルな「納屋→事務所」小屋住まいは続いています。歌津センターのあった場所に今建っている小さな小屋(上画像)は、譲ってくださった大工の佐藤さん、サッシのそもそもの出所である三嶋神社さん、土地使用の許可の上、断熱工事まで協力してくださったお隣の三浦さんなどの「巡り合わせ」のささやかな建物
です。「掘っ立て小屋」と悪口を言われないように、年末から年始にかけ、RQセンターの夏の建設ボランティアであったコータロー君と三浦のおじさんのアドバイスを受け、物置ではなく事務所に見えるよう、整備を進めているところです。
 

 
 
子供たちが命名のための「総選挙」で、「てんぐの遊び復興事務所」と名づけた、その名に恥じない顔として、大切にしたいと思います。お正月に向けてヤマ学校ではしめなわ飾りを作るプログラムを12/23におこないました。例年は中学校で親子でやっているのですが、担当講師のおじいさんが今年はお正月をしないということで、急遽別の講師を探し、我々で呼びかけました。
   
 
■忙しかったお正月の準備
 
歌津のお正月は本来はとても盛大なものです。しめなわ飾りを教えてくださった石泉部落の畳屋さんは、2m以上のサイズのものを「うちのやり方」と説明してくださいました。多くの方が仮設住宅住まいなので、今年は小さいサイズのしめ縄を作ろうということになり、7本下げの縄の綯(な)い方を習いました。会場とした石泉活性化センターは、秋以降RQが宿泊場所にお借りしていたのですが、このときにはお正月に向けた準備のため三嶋神社法印(神主)さまが泊まっておられました。正月にしめなわを掛け、おまつりする場所は、神棚、氏神さま、井戸、かまど、台所などたくさんあって、それぞれに御幣束の形が異なります(隣まちの入谷の八幡さまに伺ったところ、そこではまた形が違うとのこと)。流される前の大きな家では、神棚はもともと2間幅もあるような大きなものが一般的だったそうです。さらに、半紙をカッターで切った「切子」風の紙飾りがいろんな種類準備され、壁に飾られます。
 
 
 
石泉ではお母さんたちが集まって餅をつき、おそなえ餅やくるみあん、玉子焼き、手作りの焼肉用タレなどを作りました。秋から「冬まで歌津に居るんだったら、くるみ餅の日に来なさいよ」と声をかけていただいていました。いよいよ寒くなる歌津の冬を一緒に越す仲間として、招いていただけて光栄です。
 
今年は津波でたくさんの方が犠牲になり、喪中としてお正月祝いを取りやめる家庭も多いです。歌津では、喪中の家と正月祝いをする家との間では正月7日間は行き来をしないという古いしきたりを、今も厳格に守る方が多いと聞きました。誰がお正月をして、誰がしないのか、そんな挨拶が年末には繰り返されました。喪中の方が家の敷居をまたいだだけで、新年祝い飾りを中止しないといけなくなる、といった徹底ぶりの家庭もあるそうです。スパイダー家(?)も、りっぱなしめ縄を飾るのは記念写真だけにして、お正月祝いをする方にもしない方にもご挨拶にいけるように配慮することにしました。
 
大晦日は三嶋神社で除夜の鐘つきがありました。神社がお守りおみくじを授与する隣で、ヤマ学校が自作した絵馬をお配りしました。子どもの祭りごっこやしめなわ作りといった神社関連の取り組みを重ねてきて、法印さまともじっくりお話しできる関係ができました。元教員であった法印さまは、ヤマ学校の活動に接して「教えることと学ぶことの違い」について語ってくださいました。そんな中から、神社に新たに絵馬掛けを作って手作り絵馬を配らせていただくという提案まで受け入れていただきました。法印さまと足元の冷える下駄履きで夜半まで境内におりましたが、参拝者は例年に比べて格段に少なかったのは仕方ありません。配りきらなかった絵馬は、受験生に差し上げようと思います。
  
「おめでとうございます」と言うことが躊躇されるような静かなお正月。「今年は良い年にしましょう。本年もよろしく!」と皆さんに声をかけ、復興新年を決意し暖かい春を待つ気持ちを分かち合っています。
 
 

  
■谷びらきと新年会の準備
 
「冬になったら道が凍ってアクセスが閉ざされる」と私たちが考えていたところ、「水を撒いて氷の滑り台にすれば遊べるっちゃ」と逆転の発想を語ってくださったお母さん。「さえずりの谷」は冬も、暮らしの場・遊び場からの学び活動を休止はしません。多くのRQボランティアにも「冬はもうあきらめたほうがいい」と言われてきましたが、ヤマ学校がこの谷にこだわるには理由があります。小学生が自分の遊び場として自発的に通いはじめているということ。高台移転候補地に隣接していて来年には谷の存続がどうか不確実であって、「いま遊ばなくては」という”今このときを大切にする”立場。仮設住宅という狭い環境で、冬になって外に出るのもおっくうになり、気持ちが暗くなりがちな季節に、子どもの元気な姿を届けたいという思い。
 
新年そうそう1/5に、谷びらきの新年会をもちます。正月用のお餅は、年末12/28にも中学校で盛大に餅つきがありました。新年会では、小学生でもつけるように、杵ではなく一升瓶でつくということをやってみます。これは、船乗りが海上でお正月を迎える際につかう技術だそうです。「なければないで工夫する」というヤマ学校のモットーは、長期間海上で暮らす船乗りの知恵から学ぶことも多いのです。 
 
谷のテント集会小屋には、畳が入りました。当初希望していた「オンドル床下暖房+掘りごたつ」建設はまだ実現していませんが、お正月は畳の上でカルタとりをしようと思います。子どもたちの間には「さえずりの谷」をめぐる色んな自主ルールや物語やこどものまち建設の夢が広がっています。そんなイメージを「ヤマ学校かるた」に反映させてみよう、というのが、予定しているプログラムのひとつです。正月そうそう駆けつけてくださった伊豆の水口さんは、夏にここでキャンプ場づくりをしたときに単身でヤナギ林を伐採してくださった方です。彼の協力で、竹ひごから自分たちで準備しての凧作りが展開することになります。歌津の強風ははんぱではないので、小さな凧でも簡単に揚がるかもしれません。
 
  

  
■子どものまちへ
  
谷に繰り返し通う子どもたちの中には、自分の「まち開発のイメージ」を持ち始めている子たちがいます。11月末に、「まちめぐり」をどこに行きたいかと伊里前小学校二年生クラスで問うたところ、みなが「RQ!」とこたえたのだそうです。ちょうどレンタルコンテナを撤去した翌日の12/1、残っているのは大工さんの納屋を転用した小屋と、隣接するテント商店街だけという、RQ跡地に子どもたちがやってきました。
 
テント商店街の入り口部分を段ボールで囲ってにわか映写室を作り、RQのボランティア活動の記録画像と、三嶋神社の祭りと子ども自身が夏と秋につくったお祭りごっこ映像を見ました。ちょうど韮の浜地区で流されなかった獅子頭につける胴幕(唐草模様の布)を探しているということを聞き、韮の浜の子どもと一緒に「ぼくらから布をプレゼントしよう」という話しも盛り上がりました。祭りごっこで使った風呂敷ではサイズが足りないことも判明して、後日、スパイダーが和装をそろえるのに通っている浅草の商店さんたちの協力で、六幅の大きな布を入手することができました。年末には韮の浜獅子舞保存会の会長さんに布をお届けし、2年生のお孫さんのいるお宅で夕食まで呼ばれました。この子は祭りごっこの際に「韮の浜は獅子頭が流されてないので、今からもってくるけ?」と言ってくれたのが印象的でした。大人が誇りとする文化を、子どもも誇りとしている、ということがよく分かるエピソードです。
 
 
  
 
「まちめぐり」授業の二年生たちは、地面のぐちゃぐちゃが解消さる日のない谷で、泥団子作りを楽しみました。これはあるRQボランティアさんの発想から生まれたちょっとしたストーリーです。土日に通ってきていた子の一人が泥団子をつくって置いていったものを、スパイダーが使っている火鉢に放りこんでみました。このあたりは縄文土器が出土する土地なので、普通に田んぼ(休耕田)の泥をこねて焼けば、土器ができるのです。ボランティアさんの前で火鉢から硬い団子が出てきたとき、それを握ると熱かったのですが、「ホッカイロになりますね」のひと言。そこから、「クラス18人の泥団子が寒い谷でかじかんだ手や指を暖めるカイロになる」という贈り物をいただこうという企画が生まれたのです。
 
子どもたちは、「RQさんへの質問」発表もたくさん準備して来ていました。谷のテント集会小屋で集まり、質疑応答ののち感謝のリースをプレゼントされました。イヌと「スパイダーの家」の折り紙があったり、ヤマ学校のスタッフへの応援でもありました。「さえずりの谷ハンドブック」を書いてきてくれた子も居て、その内容を読むと、もはや私たちが使用ルールとして教えたこと以上に、自分たちのルール作りが始まっていることが分かりました。
 
小学校が公式にヤマ学校を学習の一環で使ってくださることは、地域に根ざした活動という意味でたいへん有意義なステップです。担任、教頭、校長先生とも日常的にお会いして、ヤマ学校のビジョンを伝え、地元の遊びや文化を教えていただいてもいます。中学生が部活で忙しく、なかなかヤマ学校の活動に誘っても参加してもらえないのをどうするかは、今後の課題です。
 
もうひとつ、まちづくりで特記したいことがあります。
 
高台移転第一号の家は、小学校6年生の手で建った、という出来事です。冬休みに、谷にいちばんよく通ってきてくれているのが、家が近所の男の子。食事を自分でつくるしっかりした子で、ときには谷の集会小屋でスパイダーと一緒に調理します。「俺は前からやりたいことがあったんだ」と彼が取り組み始めたのは「自分の小屋づくり」。場所の選定を一緒にして、簡単なツリーハウスを斜面林内に作ったらどうかとアドバイスしました。立ち木を利用して梁をロープで縛り、セッカ(製材の残り材)を張って屋根をつくる。釘とトンカチを使って自分で屋根や壁を作っているところです。その場所はまさに、高台移転のひとつの候補地として提案されている伊里前契約会の林。今しかできない遊び、想像力がある子どもだから林が「家」に見えるという子どもにしかできない遊び。親とけんかしたときに逃げ込みたいのか、自分の秘密基地として仲間に自慢したいのか、これこそこの地域の伝統である「ヤマ学校」の姿なのでしょう。
 
 
  
■地元の皆さんありがとう。
 
12月にはRQ歌津センター撤収にあたって、伊里前契約会と石泉部落が主催とした「ごくろうさん会」が開かれました。夏にはバーベキューで毎週のようにRQで顔を合わせていた方々が再び一堂に会して、それぞれの思いを述べました。まだ寒かった4月からのRQ立ち上げとキャンプ主催までの期間にRQ代表を務めた十姫からは、当時の貴重な写真つきで活動を振り返る長い手紙が送られてきました。参加者はみなそれを見て、避難所の厳しかった活動でのボランティアたちとの出会いをなつかしんでいました。
 
 
  
RQは決してはじめから地域に受け入れられたわけではありません。黙々と漂着物撤去をし、少しずつその働きを「RQさん」として認知され、コミュニティの色んな層の人たちとつきあって、町のことを少しずつ知り、自分たち余所者の役割を模索してきました。その中から生まれたひとつの活動が、子どもの遊び場作りであり、ヤマ学校というスタイルの遊びを通しての学習の場でした。ライフラインがないキャンプのような環境で暮らし遊ぶスキルを身につける。それは災害教育としても重要だということを、津波からの避難を経験した若いお母さんたちが身をもって実感しています。災害現場から学べる知恵がたくさんあり、それは歌津の里山の伝統文化とも切り結ぶということを、「てんぐのヤマ学校」は実質化しようとしていますが、それを地元の多くのリーダーたちが協力応援しようと言ってくださっています。
 
樋の口に公民館元館長さんの山内長七さん宅を改修して住むことを許されたのも、牧野駿元町長さんや樋の口大井の山内さんが都会から移り住んだボランティア出身者を応援してくださったからです。
 
そういう出会いをRQを始めとするボランティアたちが残してくれたことを、ヤマ学校スタッフは感謝しています。そして何よりも、期待してくださっている地元の人たちの暖かさに感謝します。「凍死するんじゃないよ(笑)」と冗談を飛ばしながら、一緒に冬越しの知恵を考えてくださる隣人がいることは、都会人として育った者には「田舎の暖かさ」として得がたい経験です。
 
とても長い一ヶ月余りの活動報告になりました。長文読んでいただき感謝です。
 
 

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歌津 てんぐのヤマ学校
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