2012年3月11日日曜日

命をはぐくむ海と川に感謝する日々をとりもどしたい

 
 
■ 伊里前湾での慰霊祭
 
3・11 2時46分。南三陸町の防災放送からのサイレンが鳴る。
津波犠牲者を追悼する献花台が設けられた伊里前湾海辺。海を臨む位置に建っている伊里前福幸商店街のマルエーストアのご主人が、防潮堤の上から花束を海に投げ入れた。
 
昨夜は雪が降り、今日は朝から好天。夕刻から風が強くなり降雪となりそうとの天気予報が流れたのを聞き、町の人たちはみな「あの日と同じだ・・」とつぶやいた。夕方には冷たい風が吹き始め、川の水を触ってみたが驚くほど冷たかった。こんな冷たい水でずぶぬれになった被災者が、降りだした雪のなか高台へと逃げたあの日のことを、被災のあとにボランティアに来た私達は、想像するしかない。
 
避難所の炊き出し班だった元気なお母さんのめぐみさんが、まだ暖かかった秋頃に私に言ったことば。「雪が降った時に、津波の日がどんなだったか分かるんだよ。」  さえずりの谷の屋外テント小屋で冬を越そう、と決意したのは、実は彼女のこの言葉が大きかった。
 
電気や水道や暖房のライフラインが不十分なアウトドア生活を(毎日とはいわないまでも)継続してきて、マイナス15度の外気温の日も体験した。地元の人たちが気遣ってくれる心の温かさや、冬の保存食のありがたみ、海や畑でとれた新鮮な食べ物を分かち合ってくださるありがたみ、そして火鉢や身体を温める食材をはじめ厳しい寒さに立ち向かう昔暮らしの知恵の数々。。。この土地に移住を決めて8ヶ月、学ばせていただいたことは数知れない。
 
(一週間前の雪の歌津。小学校仮設住宅の向こうに伊里前川うたちゃんはし)
 
 
たくさんのボランティアがRQを通してこの地に来て復旧のお手伝いをしながら、たくさんの事を学ばせていただいたが、1年たって景色はコンクリの基礎がむき出しのエリアが広大に広がっている。半年以上ぶりに予告なくこの日伊里前を訪れてくれたRQの長期ボランティア・あっきー君との再会は嬉しかったが、三嶋神社参道からの光景を見て、「一年たって・・」と言葉をつまらせた。
 
 
■三嶋神社前にささげられた祈り
 
歌津の最大の祭りである三嶋神社秋の大祭は、4年に1度開催されるが、本来ならば去年がその年に当たっていた。勇壮な獅子舞、荒れ神輿、子どもによる笛太鼓囃子で知られたが、江戸時代からの手作り衣装を含めて津波で失われてしまった。今年3/31には、静岡県裾野市の三島神社にあった神輿が、氏子さんの好意で寄付いただけることになり、津波後初めての三嶋神社の神輿渡御が行われる。
 
夏と秋のさえずりの谷キャンプでは、子どもたちの手作りの神輿や獅子でお祭りごっこをした。そこに三嶋神社の記録ビデオから聞き取ったお囃子の笛の音を加えてくださったのが、RQボランティアだったいのりさん。この日、再び伊里前にかけつけてくださった。子どもたちとの再会を果たし三嶋神社にみんなで参拝しようと誘いを入れていたのだが、仕事を終えた親御さんが連れ出そうとしたときには遊びに出掛けてしまっていたという。さえずりの谷の常連である小学校低学年の彼らにとっては、貴重な遊びの日曜日。それもまた、地元での3・11の過ごし方だった。
 
3/31のお祭りには、子ども神輿をふたたび手作りして出そうという相談を、子どもと親たちと始めたところ。谷から町にヤマ学校の神輿が出るのは初めてのことなので、親子での参加を呼び掛けてやりましょうと、夏秋の参加者の親御さんと企画中。
 




 
朝から三嶋神社の参道下に、手づくり絵馬を書いていただく場所をいのりさんに手伝っていただいて設置した。大みそかには境内で法印(神主)さまと一緒に絵馬を参拝者に提供させていただいたのだが、ボランティアの娘さんがデザインした「うたつ」絵馬が再び登場。RQ跡地横に建つ白テント商店街の床屋・れい子さんのお子さん二人は絵馬を書きながら、小学生じぶんにお祭り太鼓に参加したことを懐かしがっていた。参道のすぐ脇に家があって流されてしまった「下地区の千葉さん」は、ガレキになった自分の土地にたち、子ども自分に神社参道や隣の山で遊んだ昔話を聞かせてくださった。氏神さまの石も流されてしまったこと。古いお墓が、津波以前にも造成のたびに移転させられたり、宅地化に際して合葬を余儀なくされたこと。
 
伊里前にはとても古い歴史のある家に住んでいた人たちが多い。彼ら彼女らが語る「ここにあった家」は、建物だけではなく、古い記憶につながっていく。子どものころの光景、さらにはおじいちゃんのおじいちゃんが云々。津波が奪えなかったものの一つは、そういう共同体の記憶だ。それが、共同体が復興していくときの大切な鍵の一つだと、てんぐのヤマ学校は信じている。それゆえに、そうした「語り」を子どもたちをふくめた若い世代に伝承していただくお手伝いをしようとしている。
 
 
■海と山をつなぐ伊里前川の豊かさ 
 
自然の脅威と恵み、そして共生と人の絆。1000年ぶりの大津波は、千年前からこの地の人々に大切にされてきた、自然への畏敬と感謝を、一年たって、語る人々がいる。慰霊祭の場に自動車ではなく仮設住宅から自転車でかけつけた若い漁師の千葉拓さんは、一緒に伊里前川を河口から歩きながら、津波前の町並みと人々、子どもたちの笑顔のことを、昨日のことのように語ってくれた。
 
  
「この水門の橋のところで子どもの頃遊んでは、汽水域に集まるボラやクサフグを獲って、『クサフグ祭りだ!』と大騒ぎした」

「橋げたの間のこんなところに流されたカキが挟まってる! うちほのカキかもしんね。今年はじゃみっ子(小さくて味の濃い特別のカキ)はとれるだろうから、食べてもらいますよ」
 
「ここにとても大きな家があって、ここにあった路地にものを持っていくと、いつも小さな子が顔をだして可愛かった」
 
「川から上がってくる色んな生きものが、道路際のこの側溝に住んでいて、子どもの頃の遊び相手だった。そこも復興計画の道路のかさ上げで消えてしまうんだよな。」
 
地盤沈下して深さが変わってしまった伊里前川は、以前は河口からすぐのところにシロウオが遡上して産卵していた。今の時期から準備して、川の中に石組をつくって籠で獲る「ザワ漁」が戦後の伝統漁法としてなされていた。津波による地盤沈下で、川の深さが変わってしまったので、この日、川沿いを歩きながら、ザワ漁を再開する場所を検討する拓さんに同行した。津波で流されてしまった石組を復活するのに、人手がいるという。3年前からシロウオ祭りとして町の行事にもしていたこの漁は、ぜひ再開してほしいと、商工会の人たちも願っている。「手が足りなければお手伝いさせて欲しい」と申し上げ、全国でも貴重なこの漁の準備作業を地元の方と一緒に体験させていただく研修ツアーを、ヤマ学校で準備することになるみこみ。
 
しろうおの遡上だけでなく、湾の漁獲の豊かさ・生き物の生態系の豊かさは、山から流れる栄養を運びこむ伊里前川の清流が大きく支えている。美しい川を再生させる課題は、沿岸地形の変化という問題もかかえつつ、長期にわたって地元と一緒にとりくまねばならないことだ。
 
今年ヤマ学校に課外授業で来てくれた児童たちは、来年は田束山の動植物について総合科で学習する。そこにヤマ学校から講師として参加させていただくことが決まった。春からは、山川海の生き物の恵みと環境の再生について、子どもたちと一緒に考えていく都市農村交流を作っていきたい。